山岡淳二
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1970年代中盤のスーパー戦隊シリーズ、1990年代前半のメタルヒーローシリーズのアクション監督として活躍した後、東京ドームシティのヒーローショーのアクション演出を担当。
同時期にアクション監督として活動していたJAE社長の金田治は山岡を高く評価しており、その奇抜な演出に刺激を受けていたという[1]。
また、山岡は勉強家の一面もあった。毎年新シリーズの主題歌を放送前に何度も聴いてアクションのイメージを膨らませてたという[2]。
『メガロマン』やスーパー戦隊シリーズで監督を務めた東條昭平は、山岡の演出について絵コンテもないのに指示に応じると素晴らしいカットになるといい、天才と評している[3]。
スーツアクターの蜂須賀祐一は、山岡は現場では厳しく、無茶な要求をされることも多かったが、印象的な画を作るセンスを高く評価している[4]。
1995年から、山岡が上と取り合ったことをきっかけにスーツアクター達の名前が台本に載るようになった[2]。
スーパー戦隊シリーズでは、5人が別々の場所で戦う様をワンカットで撮る演出を好んでいる[5]。カメラマンのいのくままさおは、この演出について面白いがズームやパンのタイミングが難しく、思い切りが必要だと述べている[5]。
2021年7月、JAC時代の後輩だった柴原孝典(現オフィスワイルド代表)が、自身のフェイスブックにて、山岡の訃報を公表した。