山岸紀郎
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日本体育大学出身。日本人として初めて国際バレーボール連盟のFIVB公認レフリーとなり、1986年の世界選手権の男子決勝の主審を務めたほか、1988年と1992年のオリンピックでも国際審判団の一員として参加した。
一方日本国内では、1995年4月より日本バレーボール協会の理事、専務理事や日本バレーボールリーグ機構の代表理事(会長)などを歴任した。また日本におけるビーチバレー生みの親とも言われ[2]、1996年のアトランタオリンピックではビーチバレー日本男子代表監督を務めた[3]。
また、立教新座高等学校教諭としてバレーボールの指導も行っていた。その為、立教大学体育会バレーボール部OB会の特別会員でもあった[4]。