山崎正三・都家文路 From Wikipedia, the free encyclopedia 山崎正三・都家文路(やまざきしょうざ・みやこやふみじ)は、昭和期に活躍した夫婦漫才(音曲漫才)。 戦後あほだら経を売りにした数少ない夫婦のコンビ。あほだら経の特徴であった小さな三つの木魚を叩いていた。1934年にコンビ結成。正三が亡くなるまでコンビを続け、戦後は吉本興業の花月などで活動していたが、最晩年はキタの東宝系の演芸場「トップホット」に出演。 山崎正三(やまざきしょうぞう、後にしょうざ、1906年 - 1983年11月6日)本名は山崎源次郎。立ち位置は向かって左。 大阪府の生まれ。 あほだら経の初代若松家正右衛門の門下[1]。色々コンビを変えている。初名を若松家正蔵。後に山崎正三を名乗る。 元は「しょうぞう」と読んでいたが、周りから「しょうざ」と読まれたので後に「しょうざ」と名乗る。しかし、最晩年は元の読み方「しょうぞう」としていた。 関西芸能親和協会副会長、1982年に人生幸朗の没後は会長。 洋服も多かったが、ワッハ上方には着物を着てあほだら経を演じる映像がある。 都家文路(みやこやふみじ、1913年 - 没年不詳)本名は山崎(旧姓不明)文子。立ち位置は向かって右。 ぼやき漫才の都家文雄・静代の門下[2]。色々コンビを変えている。 和服。 エピソード 正三は背中に未完成の花魁の刺青が彫られていた。これは10代のころに巡業先で博打をした際、博打に負けた相手が彫師で借金のかたで刺青を彫らされる。その後も借金をして払えなくなり刺青が増え始めたが、後に彫師の元を離れたため、結局未完成の刺青だけ残った。 脚注 [脚注の使い方] ↑ 他に、若松家正八・前田すみ子、瀬戸圭子・浅間保、2代目若松家正右衛門(2代目正右衛門は若松家老松・姫松の老松)、若松家艶子・正坊がいる。 ↑ 他に、人生幸朗・生恵幸子、都家文広、東文章・こま代がいる。 関連項目 荒川キヨシ・小唄志津子 - 同じくあほだら経で売った。 市川福治・かな江 - 上に同じ。 山崎正路・若松雪路(元浪漫トリオ) - 正三の弟子。 参考文献 「現代上方演芸人名鑑」(1980年、少年社) この項目は、お笑いタレント・コメディアン(これらの関連記事を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:お笑い/PJ:お笑い)。表示編集 Related Articles