山川丙三郎
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新潟県北蒲原郡(現・新潟県新発田市上館)生まれ。新潟市の北越学館に入学し受洗[1]。1892年東北学院労働会に入って勤労学生として苦学し、20歳の同学院文科2年生のときに島崎藤村が教師として赴任し、交流する[1]。バイオリニストを志して渡米し、カリフォルニア大学に学び、語学の才を発揮し、とくに中世英語ではアメリカ人を抜いてトップの成績を修めたという[1]。
1914年から1922年にかけてダンテ・アリギエーリ『神曲』を邦訳[2]。ダンテ研究家の大賀寿吉に絶賛される[1]。同郷の支援者・出村悌三郎(のち第三代東北学院院長)の誘いで[1]、1919年東北学院教授となり、1929年名誉教授となる。新井奥邃の謙和舎にも学んだ。『神曲』はのち岩波文庫に収められ広く読まれた。現在でも文語訳のものの中では最も手に入れやすい訳の一つである。ほかダンテ『新生』の翻訳(1929年)ものち岩波文庫。
