香川県高松市に、山川慎蔵(儒者、和算家)の長男として生まれる。祖父の山川孫水も大坂出身の儒者および和算家で、私塾を開いたのち高松藩の郷校の校長を務めている。
米国留学中、野口英世の協力を得て、血清プロテアーゼの研究を行った(追悼録)[2]。のち東北帝国大学医学部教授となり消化官のレントゲン診断法を確立した[3]。昭和16年、大腸癌肝転移のため仙台の自宅で逝去、享年57。墓所は多磨霊園。
担当した東北帝国大学医学部内科学講座は、それ以後、黒川利雄、山形敞一、後藤由夫、豊田隆謙、下瀬川徹、正宗淳が教授として引き継いでいる。