山本兵吉
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三毛別羆事件
北海道苫前郡初山別村出身とされる。若い頃から山をかけめぐる猟師だったらしく、樺太にいた頃にヒグマを鯖裂き包丁で刺し殺したことから「サバサキの兄」と呼ばれた。また、エゾヤマドリやエゾリスは実弾1発で仕留めることができたと伝えられている。46歳の時に日露戦争が勃発すると兵吉も従軍した。日頃から持ち歩いていた当時のロシア製ボルトアクション方式ライフルベルダンII M1870と、トレードマークの軍帽はこの時の戦利品である[1]。
1915年(大正4年)12月9日、北海道苫前郡苫前村三毛別六線沢(現:苫前町三渓)で、開拓民7人がヒグマに殺される三毛別羆事件が発生した。当時57歳の兵吉はこの頃、借金のために銃を質に入れており、たまたま猟を思い立って三毛別付近に来たところで事件を耳にした。三渓(旧三毛別)の住民の話では10日深夜、11日、12日のいずれかにヒグマ討伐隊に参加したというが、詳細は不明である。
13日18時頃、兵吉は討伐隊員の鈴木とヒグマが無人の家に侵入しているのを目撃したが、射殺には至らなかった。
14日、この日は大規模な山中での捜索が行われた。兵吉は討伐隊とは別の道から山に入ると、200メートルほど手前から頂上付近のミズナラの大木で体を休めているヒグマを発見した。兵吉は20メートルほど前進したのち、ハルニレの木に身を寄せ銃を発砲、ヒグマの心臓近くに命中させた。しかし、ヒグマは立ち上がり兵吉をにらんだため2発目を発砲、その弾は頭を貫通したという。10時、7人を殺害したヒグマは兵吉によって命を絶たれた。
兵吉は褒美として北海道庁から無鑑札で軍服と帽子を送られたが、それを着て猟に行くことはなかった[要出典]。事件での兵吉の活躍は吉村昭の小説「羆嵐」で山岡銀四郎として大きくとりあげられた。
事件後
兵吉はその後三毛別に家を建てて、事件前に住んでいた鬼鹿村から家族を呼んで暮らしていた。しかし「熊殺しの英雄」と村人からチヤホヤされるため、酒を飲んでは村人と喧嘩していたという。兵吉は酒を飲んでは妻を殴るので、妻が子どもを連れて鬼鹿村へ帰ることもしばしばあった。そんな兵吉だったが子どもたちには優しく、のちに猟師となる大川春義に熊撃ちのコツをよく教えていたという。兵吉はその後2 - 3年ほど三毛別に住んでいた。
小説や映画などでは素行の悪い人物に描かれることが多いが、初山別村の豊岬郵便局に勤めていた孫の昭光によると、酒を飲むと荒れることもあったが、普段は優しく面倒見のいい人物だったという[1]。
