山本和男
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柳井学園高から、社会人野球の新日鉄光に入団。大町定夫、児玉克雅ら先発陣を救援投手として支える。1978年にはチーム創部17年目の都市対抗初出場を果たす。1回戦で大町をリリーフして登板するが日本通運に惜敗[1]。1980年の都市対抗でも、2回戦で大昭和製紙を相手に好投するが敗退[1]。
同年オフに、ドラフト外で広島東洋カープに入団。背番号は江夏豊から26を受け継いだ。スリークォーターから、MAXは138㌔程、スライダー、シュート、カーブ、シンカーなどを武器とした。左の中継ぎとして活躍し1984年には46試合に登板、5勝をあげる。その後は、清川栄治の台頭により登板機会が減少し、1988年オフに金銭トレードでオリックスに移籍。
しかしここでの一軍登板はなく、1989年限りで引退。1990年、1991年は打撃投手を務めたが、年金取得基準となるまでの在籍日数を充足させるため、1990年途中までは登録上は現役だった(当時の『週刊ベースボール』の記事)。1990年はファームで1試合のみ登板している。