山本文博 From Wikipedia, the free encyclopedia 国籍 日本出身地 愛媛県生年月日 (1955-08-26) 1955年8月26日(69歳)身長体重 170 cm69 kg山本 文博基本情報国籍 日本出身地 愛媛県生年月日 (1955-08-26) 1955年8月26日(69歳)身長体重 170 cm69 kg選手情報投球・打席 右投右打ポジション 内野手経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) 選手歴 愛媛県立八幡浜高等学校 駒澤大学 北海道拓殖銀行 監督歴 室蘭大谷高校 道都大学 札幌国際大学 この表について この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。 ■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 山本 文博(やまもと ふみひろ、1955年8月26日 - )は、愛媛県出身の元アマチュア野球選手(内野手)である。 八幡浜高等学校では1972年秋季四国大会県予選決勝に進むが、今治西高の矢野隆司に完封負けを喫する。今治西高とともに秋季四国大会に出場するが、1回戦でエース植上健治を擁する高松商に大敗。翌1973年夏の甲子園県予選は準決勝で西条高に敗退。 駒澤大学に進学。東都大学野球リーグでは在学中6回の優勝を経験、1977年には春秋季リーグ連続で首位打者となり、両季ともベストナイン(二塁手)に選出されてリーグ連続優勝に貢献する。同年の第26回全日本大学野球選手権大会でも優勝を果たし、第6回日米大学野球選手権大会日本代表となった。大学同期にエースの尾藤福繁、三塁手の渡部一治、1年下に遊撃手の石毛宏典がいた。 卒業後は社会人野球の北海道拓殖銀行に入社。1978年の都市対抗に新日本製鐵室蘭に補強され、遊撃手として出場。準々決勝に進むが東芝の黒紙義弘に抑えられ敗退[1]。この大会では若獅子賞を獲得した。同年の社会人野球日本選手権は決勝に進出、東京ガスのエース松沼博久の好投に苦しむが0-1で辛勝、初優勝を飾る[2]。この大会では優秀選手賞を獲得した。同年のアマチュア野球世界選手権日本代表となり、社会人ベストナイン(遊撃手)にも選出される[3]。その後も中心打者として活躍を続け、1987年の都市対抗では10年連続出場選手として表彰を受けた[1]。 現役引退後は室蘭大谷高校、道都大学監督を歴任し、札幌国際大学で監督を務める。 脚注 1 2 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年 ↑ 「社会人野球日本選手権大会20年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1994年 ↑ 「日本社会人野球協会会報1978」日本社会人野球協会 1979年 関連項目 愛媛県出身の人物一覧 駒澤大学の人物一覧 表話編歴 野球日本代表 - 1977年日米大学野球選手権大会監督 太田誠 コーチ 五明公男 投手 江川卓 松沼雅之 山村力人 林良孝 鹿取義隆 尾藤福繁 捕手 堀場秀孝 中尾孝義 松川正樹 内野手 金光興二 石毛宏典 原辰徳 古屋英夫 中屋恵久男 山本文博 渡部一治 外野手 植松精一 石井昭男 豊田誠佑 Related Articles