山本朗
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広島県広島市出身[1]。中国新聞創業家に生まれる[1]。子供時代から優等生で広島高等師範学校附属小学校を5年で修了し[3]、広島県立広島第一中学校に入学[3]。旧制中学を4年修了で旧制広島高等学校に進学[4]。自転車通学で3年間無遅刻、無欠席を続け卒業時には皆勤賞を受けた[4]。同期に永野厳雄(広島県知事)、1年後輩に松谷健一郎(中国電力会長)などがいる[4]。
旧制高校卒業後、東京帝国大学経済学部に進学[5]。1941年4月、実父の山本實一が社長を務める中国新聞社に入社[6]。県政記者などを担当していたが[6]、1944年(昭和19年)3月召集令状が来て呉海兵団へ入隊[7]。主計兵教育を受けた後、短現(短期現役士官)に合格[7]、同年9月、第12期の海軍主計科見習士官として海軍経理学校へ入校[8][9]。旧広島総合銀行頭取の篠原康次郎は同期生[8]。1945年(昭和20年)3月木更津の第二海軍航空隊に配属され[8]、同年6月、海軍主計少尉に任官して[9]佐貫町(現富津市)で終戦を迎える[10]。同年9月12日付で中国新聞社総務局長事務取扱 理事に就任[11]。父とともに会社再興に没頭、その過程で激しい労働攻勢に耐える一幕もあった[12][13]。1958年(昭和33年)9月専務[14]、1969年(昭和44年)社長に就任[15]。広島経済界の有力企業11社で構成する「二葉会」の一員としても幅広く活躍した。1991年(平成3年)、勲一等瑞宝章を受章[16]。