明治2年兵庫県生まれ。
1892年(明治25年)に内匠寮雇となり、1898年(明治31年)からは内匠寮技手となる[1]。同年東宮御所御造営局技手を兼任[1]。現業課に勤務[1]。1901年(明治34年)から翌年にかけて米国に出張[1]。同年片山東熊に随行し渡欧した[1]。
1903年(明治36年)からは内匠寮技師となり、御造営局御用掛を兼務[1]。1912年(明治45年)の大日山水源池聊筒所の工事や1914年(大正3年)の武庫離宮土木工事の設計、監督などを担当[1]。1921年(大正10年)退官した[1]。
1944年9月30日没。行年75歳。墓所は青山霊園1-ロ6-9。戒名は凌雲院直心完道居士。[要出典]