山東茂一郎
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生い立ち
1904年(明治37年)、大阪府大阪市に生まれ、その後和歌山県和歌山市で育つ。実家は和歌山市内で文房具商を営む家であった。父は商売人としての矜持を持ち、家業が繁盛していたため、長男である茂一郎に家業を継ぐことを望んでいた。一方で、士族出身の母は商売よりも学問や精神性を重んじる気風を持っていた。
小学校卒業時、成績優秀であったが、父は「商売を継ぐのに学問はいらない」として、進学予備校的な役割も果たしていた旧制和歌山中学校(現・桐蔭高校)への進学を認めなかった。そのため、茂一郎は実業教育を行う和歌山商業学校(現・和歌山商業高校)へと進学することとなった。しかし学問への情熱を持ち続けた茂一郎は、厳しい父の目を憚(はば)かりながら勉学に励み、母はそれを陰ながら支え続けた。
学生時代
和歌山商業学校卒業後は、長崎高等商業学校(現・長崎大学経済学部)へと進学し、同校を首席で卒業した。その後、京都帝国大学経済学部(現・京都大学)へと進み、研究者としての基礎を築いた。
研究者として
大学卒業後は京都帝国大学大学院に進学するも、商売に誠実に打ち込む父の姿を見て、実務教育の道を選ぶことを決意し、商業学校の教員となった。その後、公立高校の校長を務めるなど、中等教育の現場や学校運営に携わった。
その後、その学識を買われて和歌山大学経済学部の講師となり、のちに教授に就任した。1958年(昭和33年)時点では同大学に在籍しており、日本商業学会のシンポジウム等でも発言を行っている。
和歌山大学教授を経て、甲南大学経営学部教授に就任。同大学においてもマーケティング論の研究・教育に従事し、経営学部長などを歴任したのち、名誉教授の称号を授与された。1985年(昭和60年)、81歳で逝去。
人物・交友
親族・後進
研究・業績
日本のマーケティング導入期において、「販売政策」の理論化を試みた。特に、メーカーによる価格維持やブランド管理(有標品)に関する研究で知られる。
なお、日本におけるブランド研究の歴史において、山東は草分け的な存在として評価されている。井徳正吾(文教大学)は、1990年代にデービッド・アーカーらによってブランド論が本格化する以前の1960年頃から、山東が日本で最初にブランドに着目していたと指摘している。当時、山東は「有標品(ゆうひょうひん)」という用語を用い、現代でいうブランドの機能を「品質保証」「需要喚起」「広告」「売価の設定」などに関連付けて論じていた[5] 。
- 販売政策の体系化
- 著書『販売政策の基本問題』において、企業が市場に対して行う販売活動を理論的に整理した。
- 有標品(ブランド品)研究
- 当時「有標品(ゆうひょうひん)」と呼ばれた商標付き商品(メーカーブランド製品)の流通や価格政策について研究し、再販売価格維持制度などが議論される中での理論的根拠の一つとなった。
受賞歴
- 第10回 日本商業学会賞(1960年) - 受賞対象:著書『販売政策の基本問題』
- 第20回 日本商業学会賞(1970年) - 受賞対象:著書『有標品と販売政策』
著書
- 『販売政策の基本問題』(千倉書房、1960年)
- 『マーケティング管理の基礎』(千倉書房、1963年)
- 『有標品と販売政策』(千倉書房、1969年)
記念論文集
- 『マーケティングの国際性と社会性——山東茂一郎先生古希記念論文集』(荒川祐吉編、千倉書房、1974年)