山根昌守
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役員指導者歴
- 2000年
- 2010年
- 奈良県ボクシング連盟役員登録。関西ボクシング連盟役員登録。
- 2011年
- インドネシア・ジャカルタ開催のプレジデントカップにて総監督を委嘱され、日本ボクシング連盟史上初めて国優勝を果たす。
- 第一回台北市カップ国際ボクシングトーナメントでも総監督として派遣を受け、連続で国優勝を果たす。
- 世界選手権(アゼルバイジャン)にも総監督として派遣される。この大会で村田諒太が銀メダル。2012年ロンドン五輪出場権を獲得。
- 2012年
- ロンドン五輪チームリーダー。清水聡の試合で不可解なジャッジがあり、試合後にプロテスト(正式抗議)。これが認められ、清水のTKO勝ちとなった。これは五輪の歴史上初めてプロテストによって判定が覆った先例となった。次の試合に勝って準決勝に進んだ清水は日本アマチュアボクシング界に44年ぶりの五輪メダル獲得を果たした。また村田諒太選手は48年ぶりの金メダルを獲得。同一大会での複数メダル獲得は日本ボクシング連盟史上初。
- 2013年1月25日
- プロボクシング表彰式でアマチュア部門特別賞を受賞。
- 2013年
- 日本ボクシング連盟副会長就任、幼年ボクシング委員長に就任する。
- 2014年、幼年ボクシングからアンダージュニアボクシングと名称変更を行う。第一回アンダージュニア(UJ)王座決定戦を大阪府立体育館で自費およびパンフレット広告収入で開催する。
- 2016年3月
- JOCスポーツアカデミー事業第8期ナショナルコーチアカデミー全課程修了。ナショナルコーチ資格を習得。
職歴
中卒のため、就職先が見つからず、ようやく21歳の時、北新地のクラブでボーイとして働く。
翌年、アメリカ村タイムズスクエア内のカジュアル服店キャッツ入社。営業成績を伸ばし、取引先から再三にわたり独立を勧められ、1987年、20万円の資本でカジュアル服チャンプ設立。フリーマーケットや有名スーパーなどでの催事販売を基本とする独自アイデアの製造販売方法で業績を伸ばす。
1989年には中古輸入車販売業アティックオート設立。
1995年、30歳で淀川区にワンルームマンションを建設、賃貸事業を始める。
2000年、アティックオートを展示車と修理工場を併せた店舗に拡大。独自の戦略サービスとしてメンテナンスフリーを考案し経営拡大する。
2002年、アメリカ・ロサンゼルスに行き、ハマーH2を並行輸入し独自の宣伝手法で新車販売へと業務拡大。
2008年、十三で最大級のパチンコ店「風月荘」パチンコ部門のコンサベーダー取締役就任。同年、淀川未来株式会社設立(資産管理会社)。
2017年12月、アティックオート株式会社閉店。元取締役店長による不正競争防止法違反があり、代表取締役社長の責任で閉店した。