山王坊遺跡
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中世に日本海貿易に携わり津軽地方に勢力を有していた安藤氏関連の遺跡である。安藤氏は十三湖西岸に十三湊(とさみなと)と称される港湾都市を設け、北岸には福島城を築いた。山王坊遺跡は福島城北方の山間部に位置する中世宗教遺跡である。同地に現存する日吉神社境内付近に神仏習合の信仰形態を示す中世建物群の跡が存在する[2]。
日吉神社一帯は古くから山王坊と呼ばれ、かつてはここに阿吽寺という寺院があったとも伝えるが、嘉吉2年(1442年)、安藤氏が南部氏との抗争に敗れ、蝦夷へ逃れた後、衰退した。山王坊および阿吽寺について中世の同時代の記録はなく、近世以降の地誌にその名がみえるのみである。一例として、寛政8年(1796年)、菅江真澄が著した『外浜奇勝』には「山王坊とて寺のあとありき」と山王坊への言及がある[3][4]。
明治の神仏分離に際しては、それまでの山王宮を日吉神社と改称し、相内村(十三湖北岸)の飛龍宮境内に移したということが、1870年(明治3年)の『神仏混淆神社調帳』にみえる。いっぽう、1876年(明治9年)の『新撰陸奥国誌』には相内村の山王坊について言及されており、1876年までに日吉神社は旧地に復帰して、現在の日吉神社となったものと思われる[3][5]。
