山科礼蔵
日本の政治家、衆議院議員
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経歴
広島県出身[2]。御調郡三原町(現三原市)生まれ[3]。和学、漢学、英語、経済学及び工学を学ぶ。英語は土井百穀(善右衛門)の私塾・遷喬舎[4][5]で、漢学は長谷川桜南の桜南舎[6]で学んだ[7]。
日本輔仁会を創立し、会長となる。1884年に上京し、郷産物販売の吉備商会と海事工業の山科海事工業所を設立し、築港、架橋、船渠、岩礁破砕、難破船の引揚及び埋立等の事業に従事する[2][7][3]。また、海事工業(株)取締役、山科汽船(株)監査役、東京商業会議所議員、同副会頭となる[2]。
1902年の第7回衆議院議員総選挙において広島県郡部から憲政本党公認で立候補して当選した[8]。1903年の第8回衆議院議員総選挙で落選した[9]。
その後、東京商業会議所会頭、南米土地株式会社々長、日本海事工業株式会社取締役、山下汽船監査役等を歴任した[7]。大正11年(1922年)には、ブラジル独立百年祭に合わせて南米実業視察団を組織し、団長としてブラジルを訪問した。
1930年に死去した。
