1932年(昭和7年)4月、中原中也は詩集の編集を始めた[3]。6月、予約募集の宣伝を出したが、協力してくれたのはわずか10名程度だった[3]。少なかったので7月に二次募集をしたが、結果は変わらなかった[要出典]。9月、母からもらった300円(当時の価格)で印刷にかかるが、資金が続かなかった[3]。10月に印刷を完了し[2]、中也は印刷し終えた本文と型紙を安原喜弘に預ける。[要出典]
翌年4月、芝書店に持ち込むが断られる。9月頃、江川書房から刊行する予定だったが実現しなかった。11月に文圃堂で出版が決定する。[要出典]
1934年12月に刊行された[3]。刊行部数は限定200部だった[1]。