山野貝塚
日本の千葉県袖ケ浦市にある貝塚
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概要
馬蹄形貝塚で北貝層,東貝層,西貝層の3貝層からなる。貝層の厚みは最大で1.3m。遺跡から見つかっている集落跡は縄文時代後期から縄文時代晩期までのものだが、貝層の主な形成期は縄文後期。遺跡からは縄文の幅広い年代の縄文土器(関山式,阿玉台式,加曽利E式,堀之内式,加曽利B式,安行ⅠⅡⅢ式,前浦式,大洞式)が見つかっているが、ただし縄文前期,中期の土器はごく少なく発見された土器の主体は縄文後期の堀之内式土器。つまりこの地が集落として栄えたのは縄文時代後期である。集落跡からは他に、土製円板など土製品、土器片錘、磨石,敲石,石皿など石製品、角歯牙製品、魚骨(クロダイ,スズキなど)、獣骨(シカ,イノシシ,イルカ,クジラなど)などが見つかっている[3][4][5][6]。土器片錘は土器の破片を加工して漁業でつかう重しにしたもので、つまりこの集落では漁業を行っていた証になる。磨石と石皿は木の実や穀物などを砕いたり粉にするのに使用した。
歴史と保存と現状
山野貝塚の学会での初出は1920年(大正9年)頃に横山將三郎が踏査した遺跡の一つで、根形村(現袖ケ浦市)に所在する貝塚として飯富貝塚の名前で報告された。[9]
1938年(昭和13年)に酒詰仲男により発掘調査が実施されたことが明らかになっており、堀之内式土器のほか加曽利E式土器、石剣片、石斧が出土したとされる。[10]
1938年の酒詰仲男の調査以降、駐留軍人のハワードA.マッコードや大黒毅三、東京大学の遠藤萬里により発掘調査が行われ、1963年の大黒毅三の調査で人骨1体、1964年の遠藤萬里の調査では伸展葬の人骨1体が発見された。[10][11]
山野貝塚の本格的な調査は1973年(昭和 48年)に送変電線鉄塔に伴い実施されそれ以降計11回の発掘調査が実施されている。[10][12]
発掘された遺物は
- アメリカ国立スミソニアン自然史博物館(ハワードA.マッコードによる調査)
- 東京大学総合研究博物館(大黒毅三、遠藤萬里による調査)
- 袖ケ浦市立郷土博物館
に所蔵されており、袖ケ浦市立郷土博物館では出土品を無料で展示しているほか、不定期で開催されるイベント時には山野貝塚ボランティアが主体となり見学ツアーを行っている。[13][14]
山野貝塚は史跡としては袖ケ浦市が管理しているものの、土地自体は所有者が管理しており史跡保護の観点から袖ケ浦市は土地の公有地化を推進しているものの、令和5年現在で公有地化率が約86%とどまっている。[15][16]