この曲がいつごろ生まれたのかは詳しく分かっていないが、かつて岡崎市の西を流れる矢作川を行き来していた船頭たちが舟唄として歌い始めたという説や[2]、『ヨイコノサンセ』という木遣り唄を応用したという説[3]、など様々な諸説がある。その後江戸の鳶職人の間で人気となり、花柳界にも広まり端唄としても親しまれた[4]。地元岡崎では一時歌われなくなったが、大正時代に復活した[2]。
歌詞に『お城下まで船が着く』という部分があるが、岡崎城から歩いてすぐの場所に船を着けられるということは地元住民の自慢であった[2]。