名古屋鉄道の岡崎市内線の路面電車の車庫である。岡崎車庫が正式名であるが、単に「車庫」とも呼んでいたという。車庫以外にも、日常検査、月検査、全般検査や改造も行っていた。車庫内には分岐器や転車台はなく、車両の入れ替えはトラバーサーで行われていた。引込線は2線、留置線は6線設置されていた。
設置時期は不明であるが、1912年(大正元年)に電化された前後という[2]。1945年(昭和20年)7月の岡崎空襲で全焼し、多くの車両が焼失している。
1962年(昭和37年)6月17日、岡崎市内線の廃止とともに閉鎖。