岡田三郎
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北海道松前郡福山町(現・松前町)の鰊の漁師の家に生まれる。家は近江商人の家系。14歳で小樽に移住。庁立小樽中学校(同校は現在、北海道小樽潮陵高等学校となっており、その校歌を岡田三郎が作詞している)を卒業し、小樽で税務署員を務め、旭川で兵役につく。画家を志望して太平洋画会研究所に入るが兵役後に文学志望へ転じ、徳田秋声に師事。早稲田大学英文科在学中に『涯なき路』『影』を発表して文壇に登場。1919年に大学を卒業すると博文館に入社し、『文章世界』編集部に入る。のち、実の姉である日本女子大学の英語の教師であった岡田 一(いち)の援助により1921年にパリに遊学。彫りの深い美貌で知られ、当時フランス女性に日本人で本当に人気があったのは東郷青児と岡田三郎だけだと謳われた。
1923年に日本に帰国してからは、短篇形式コントを紹介すると共に長篇小説『巴里』を発表。1937年、妻子を捨てて銀座のカフェで働く19歳の女給と名古屋に出奔し、スキャンダルとなる。この駆落ち体験を題材に『秋』『玩具の勲章』『冬』『冬去りなば』などの作品を発表。
1932年、徳田秋声を激励する為に結成された秋声会(あらくれ会)に阿部知二、井伏鱒二、尾崎士郎、榊山潤、中村武羅夫、楢崎勤、舟橋聖一、室生犀星とともに参加する。
1930年、映画会社「日本キネマ」を設立。加藤武雄原作の『昨日の薔薇』を岡田三郎の監督で製作、市政会館にて封切りされた。
前妻と別れて前述の女給と再婚したが結核で先立たれた上、敗戦後は時流から見捨てられた作家となった。 やがて自らも肺結核に倒れ、三児を遺して窮死した。
弟の牧屋善三(本名、岡田五郎)も小説家。第2代小樽区長を務めた山田吉兵衛は伯父。
岡田三郎の資料は、遺族より小樽市ライオンズクラブの支援によって開設された市立小樽文学館に寄贈され、常時展示されている。