福山誠之館中学校時代には、試験中でもよくテニスをして遊んでいた。それでも成績が抜群であったので、友達が驚いていた。これは平常よく勉強していたためであった。
中学時代に自宅が大火災に罹った。福山から帰宅した偆一は「わりあいによく焼けたのう」と平然と語り、惜しむ色を見せなかったので、一同唖然として、「大人物の相か」とあきれた。
海軍少将に栄進した時、当時の服部村長の大元重太郎主催の挙村一致の一大歓迎会が、服部小学校で開催された。
熱烈な猿屋権現(熊野神社)の信仰者であったので、唐獅子一対を奉納している。
また有名な酒豪家であり、文武に通じ、漢詩・和歌・俳句が巧みであった。
以下がその作品で、著書の『欧米旅行感想録』より
[服部郷] 慈王山人
山秀向陽松柏蒼 川清貫邑注湖溏
人烟藹々彩田園 春夏麗園織部郷[2]
[故里の山川草木を眺めて]
故郷の山川草木春めきて
我を迎えつ 我を送りつ
[権現さんに詣でて]
氏子人旅安かれと祈りつつ
神の御前に額つきにけり
[ハワイの日本人の状況を見て]
常夏の国に移せしなでしこの
茂れるさまぞ めでたかりける
[逝去を悼む 戸手 平田良之助[3]]
うるわしく大和島根に咲きし花
さそうあらしぞ つれなかりける