播磨の網干(現在の兵庫県姫路市)生まれ。幼年期に摂津の西宮に転じ、医学を学び医師を家業としていた。後に江戸、肥前の長崎、大坂と転々と移住する一方で、上洛して朱子学等の儒学を学び、鍋島氏に仕えた。
その後長崎に戻り、主に唐代における小説(白話小説)を和訳することに専念した。これによって、佐賀藩の支藩であった蓮池藩に仕えるようになる等一躍有名となった。晩年には、京都へ戻り同じ儒学者であった岡島冠山と共に、再度小説の和訳や講義を行った。また門人の沢田一斎を輩出させたりする等、多くの儒学者に影響を与えた。