岡部東子
日本のシンガーソングライター
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来歴
デビュー前
高校時代、フォークバンド我飛夢(あとむ)の結成をきっかけに音楽活動を始め、大学進学後は地元である宇都宮と東京を行き来しながらポプコンやEastWest等のコンテストへの出場やライブハウスでの活動を行った。
大学卒業後は就職を機にバンド活動から身を引き、OLとして働きながら自宅スタジオでの楽曲制作に専念。1987年6月、フレッシュサウンズコンテスト栃木・茨城地区予選にオリジナル曲「風のベンチで」でソロ歌手として出場し、一般審査員特別賞を受賞[1][2]。
デビュー後
歌手デビューに先駆けて1988年10月より栃木放送「ヤングステーション」でパーソナリティを務める。1989年2月、プラッツよりシングル「想い出の瞳」とアルバム『AMNESIA』の同時発売でデビュー。同年、第22回新宿音楽祭に出場し入賞(銅賞)。1年の間に2作のシングルと2作のアルバムをリリースした[3][4]。
2ndアルバム『STAY THE SUN』のプロデュースは、松田聖子の初期作品(1st〜4thアルバム)を手がけた元サンミュージック(のちに独立し芸能事務所バウハウスを設立)の月野清人が担当しており、その縁で月野がプロデュースを手がけたアイドルグループCotton[5]に楽曲提供を行った。
1992年以降は目立った活動が見られず、事実上引退状態となっている。
ディスコグラフィー
アルバム
| # | 発売日 | タイトル | 収録曲 | 規格 | 規格品番 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1st | 1989年2月21日 | AMNESIA(アムネジア) |
|
CD | P32G-5 |
| CT | P28K-5 | ||||
| 2nd | 1989年10月21日 | STAY THE SUN |
|
CD | P32G-11 |
| CT | P28K-11 |
シングル
| # | 発売日 | タイトル | カップリング曲 | 規格 | 規格品番 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1st | 1989年2月21日 | 想い出の瞳 | Fredy | 8cmCD | P10G-1005 |
| EP | P07A-1005 | ||||
| 2nd | 1989年10月21日 | スノー・キャンドルの夜 | UNDER THE SKY | 8cmCD | P10G-1011 |
プロモーション用シングル
| 発売年 | タイトル | カップリング曲 | 規格 | 規格品番 |
|---|---|---|---|---|
| 1989年 | 肩にふれたクリスマス・イヴ | 思い出の瞳 | EP | PA-1 |
| スノー・キャンドルの夜 | UNDER THE SKY | PA-7 |
プロモーション用EP
| 発売年 | タイトル | 収録曲 | 規格 | 規格品番 |
|---|---|---|---|---|
| 1989年 | 東の風、届いた。 |
|
CD | PG-1 |
タイアップ
提供作品
| アーティスト | 発表年 | タイトル | 初収録作品 | クレジット |
|---|---|---|---|---|
| Cotton | 1991年 | ヴァージン・ウルフに気をつけて | シングル「ヴァージン・ウルフに気をつけて」 | 作曲 |
| 瞳にダンディライオン | ミニアルバム「Heart Date」 | |||
| 100カラットの涙 | シングル「恋の椅子取りゲームに勝つ方法」 |