岡部永綱(おかべ ながつな、慶長元年(1596年) - 元和8年10月15日(1622年11月17日))は、江戸幕府の旗本。岡部長綱の三男で、兄に岡部綱、岡部一綱。妻は坂部広勝の娘。子に岡部庄左衛門正綱、娘(大沢基洪妻)がいる。通称は七之助、庄左衛門。
慶長9年(1604年)に9歳で徳川家光の小姓となり、元和元年(1615年)の大坂夏の陣で、家光の使者として伏見城に赴き、そのまま大坂で徳川軍に合流し、軍功を挙げた。江戸に凱旋する砌に徳川家康、徳川秀忠からそれぞれ時服2領ずつ賜る。その後は小姓組頭となるが、元和8年(1622年)に没した。享年27。法名は久盛。神田にあった吉祥寺に葬られた。