岩元達一

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岩元達一

岩元 達一(いわもと たついち、1909年明治42年)9月1日[1] - 1982年昭和57年)6月23日[2][3])は、日本の実業家政治家山形屋会長、貴族院多額納税者議員

鹿児島県鹿児島市で、実業家・岩元善蔵(岩元信兵衛弟)の三男として生まれ、伯父・信兵衛の養嗣子となり、山形屋の6代目を継承した[4]。第一鹿児島中学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)を経て、1934年(昭和9年)慶應義塾大学法学部を卒業した[2][3][4]。その後、東京銀座松屋に入社し、デパート経営を経験した[3][4]

1935年(昭和10年)山形屋の取締役に就任し、1943年(昭和18年)会長となる[3][4]。その他、田辺鉄工所監査役、新生工業副社長、日本瓦斯取締役、小牧組取締役などを務めた[2]

1939年(昭和14年)9月29日に貴族院多額納税者議員に任じられ[5]研究会に属して活動し、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]

1969年(昭和44年)県財界などの支持を受け鹿児島空港ビルディング社長に就任し、1980年(昭和55年)同会長となった[4]。その他、鹿児島商工会議所特別顧問、鹿児島県経済同友会終身幹事などを歴任した[3]

1982年6月、腎不全のため鹿児島市立病院で死去した[3]

親族

脚注

参考文献

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