岩屋大塚古墳

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所属 石上・豊田古墳群
所在地 奈良県天理市岩屋町
位置 北緯34度36分29.20秒 東経135度50分50.95秒 / 北緯34.6081111度 東経135.8474861度 / 34.6081111; 135.8474861座標: 北緯34度36分29.20秒 東経135度50分50.95秒 / 北緯34.6081111度 東経135.8474861度 / 34.6081111; 135.8474861
岩屋大塚古墳
所属 石上・豊田古墳群
所在地 奈良県天理市岩屋町
位置 北緯34度36分29.20秒 東経135度50分50.95秒 / 北緯34.6081111度 東経135.8474861度 / 34.6081111; 135.8474861座標: 北緯34度36分29.20秒 東経135度50分50.95秒 / 北緯34.6081111度 東経135.8474861度 / 34.6081111; 135.8474861
形状 前方後円墳
規模 墳丘長76m(推定復元84m)
埋葬施設 後円部:不明1基
前方部:横穴式石室1基
   (内部に組合式石棺?)
出土品 須恵器
築造時期 6世紀前半
史跡 なし
地図
岩屋大塚古墳の位置(奈良県内)
岩屋大塚古墳
岩屋
大塚古墳
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岩屋大塚古墳(いわやおおつかこふん)は、奈良県天理市岩屋町にある古墳。形状は前方後円墳。石上・豊田古墳群を構成する古墳の1つ。史跡指定はされていない。

石上・豊田古墳群の首長墳
古墳名 墳丘 埋葬施設 築造時期 史跡指定
岩屋大塚古墳前方後円墳横穴式石室2基?6c前半なし
石上大塚古墳前方後円墳片袖式横穴式石室6c後半なし
ウワナリ塚古墳前方後円墳両袖式横穴式石室6c後半なし
ハミ塚古墳方墳両袖式横穴式石室6c末-7c初なし
豊田トンド山古墳円墳両袖式横穴式石室7c中(消滅)

奈良盆地東縁、高瀬川上流の岩屋谷の中央部に築造された古墳である。墳丘は開墾等によって大きく改変されているほか、名阪国道建設の際に南半が失われている。1964年昭和39年)に発掘調査が実施されている。

墳形は前方後円墳で、前方部を東方向に向ける。墳丘は3段築成とみられる[1]。墳丘外表では3段以上の鉢巻状の貼石が認められる[1]。埋葬施設は後円部における1基と、前方部における横穴式石室1基の計2基である。後円部施設は盗掘により破壊されており詳細は明らかでないが、前方部施設は横穴式石室である。石室全長16.8メートルにおよぶ大型石室で、内部に組合式石棺を据えたとみられる。石室内の調査では須恵器が出土している。

築造時期は、古墳時代後期の6世紀前半頃と推定される[1]。後世に大規模に破壊されているが、埋葬施設を大型石室とする有数の規模の古墳であり、石上・豊田古墳群の首長墳の1つに位置づけられる古墳になる[2]

遺跡歴

墳丘

墳丘の規模は次の通り[1]

  • 墳丘長:76メートル(推定復元約84メートル[2]
  • 後円部 直径:60メートル
  • 前方部 幅:42メートル

埋葬施設

石棺材・須恵器
なら歴史芸術文化村企画展示時に撮影。

埋葬施設としては、後円部における詳細不明の1基と、前方部における横穴式石室1基の計2基が構築されている。

後円部の埋葬施設は、盗掘によって破壊されており詳らかでない。後円部中央における盗掘坑の底において大型石室の床面敷石とみられる石材が確認されている[2]

前方部の埋葬施設は横穴式石室で、大半が破壊されていたが、昭和39年の調査で石室基底部の痕跡が確認されている。石室主軸は墳丘主軸に直交する南北方向とする。石室全長16.8メートルにおよぶ大型石室とみられ、羨道側壁の基底部や玄室の床面敷石と排水溝が確認されている。石室内では組合式石棺の一部とみられる凝灰岩製板石や、須恵器(子持器台の口縁部付属の𤭯か)が出土している[2]

脚注

参考文献

関連文献

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