岩崎盈子 From Wikipedia, the free encyclopedia 生誕 1906年7月19日死没 1935年5月死因 結核に罹患して病死。国籍 日本いわさき えいこ 岩崎 盈子生誕 1906年7月19日死没 1935年5月死因 結核に罹患して病死。国籍 日本出身校 日本女子大学校職業 大阪府庁社会課委託職員活動期間 1930年代団体 日本共産党活動拠点 大阪市テンプレートを表示 岩崎 盈子(いわさき えいこ、1906年7月19日 - 1935年5月14日[1])は、日本の社会活動家、フェミニスト、評論家である[2][3]。 日本女子大学校卒業後、大阪府庁の社会課に委託職員として勤める。日本共産党の秘密党員であった川上貫一は上司であり、その影響で岩崎も日本共産党に秘密入党して社会運動に携わりつつ、女性や児童についての評論活動を行った。1933年、昭和8年大阪共産党大検挙事件で治安維持法の容疑で逮捕[4]、1935年5月に結核に罹患して病死した。享年29歳。病死する直前に評論集「婦人と児童の問題」を刊行した[2]。岩崎の評論集は1995年に久山社から再版されている。友人に松本員枝がいる[注 1][3]。 言葉 家庭の社会化は婦人解放の表象である(「婦人と児童の問題」)[2]。 著書 上笙一郎(編)、岩崎盈子(著)「日本〈子どもの権利〉叢書 10 婦人と児童の問題」1995年 久山社 ISBN 4906563163 注釈 ↑ 戦前は大阪の社会事業に携わり、戦後は婦人民主新聞大阪支局長を務めた女性活動家。 脚注 [脚注の使い方] ↑ 「政治・経済・社会日誌」『月刊大原社會問題研究所雜誌』第2巻第8号、1935年8月、61頁、国立国会図書館書誌ID:000000006719。 1 2 3 『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』コトバンク・講談社、2001年。https://kotobank.jp/word/%E5%B2%A9%E5%B4%8E%E7%9B%88%E5%AD%90-1056723。 1 2 大阪産業労働資料館. “『自由と解放へのあゆみ:松本員枝聞き書き』2010-09-09”. 2022年7月26日閲覧。 ↑ 官庁、銀行、学校へ強力な「赤」の侵入 検挙千五百名、起訴百七十一名 大阪の極左分子潰滅 神戸又新日報 1933.12.23 (昭和8)データ作成:2010.3 神戸大学附属図書館 外部リンク 婦人と児童の問題(国立国会図書館 デジタルコレクション) 典拠管理データベース 全般VIAF国立図書館日本 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。表示編集 この項目は、福祉に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています。表示編集 Related Articles