岩本泰英
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長崎県西彼杵郡の香焼中三年のとき投手をやりはじめる。でかい体の投手がいるという話から当時の長崎南山高監督が目をつけ、同校野球部に入れた。入学後暫くは投手としては後に西鉄でプレーした杉町攻の陰に隠れて目立たず、二年次に準決勝まで進んだ第31回選抜高等学校野球大会でも八番・一塁手として出場。しかし秋の新人戦から同校のエースとして公式戦43試合のうち23試合に登板、二年秋の九州大会は準々決勝で鹿児島商に0-6、三年夏の西九州大会は準決勝で鹿島高に0-2で何れも敗れ再度の甲子園出場は逃すも通算19勝4敗の成績をあげた。一学年上の杉町ほど球質は重くないが、恵まれた体から投げおろす速球を得意とする本格派で、手首が強く体もやわらかであり、ドロップやシンカーも投げ、外角の球はスライドしたという。東映からも誘いがあったが、三原脩監督の人柄にひかれて大洋ホエールズへ入団。1962年に引退。