岩田美津子
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生い立ち
福岡県若松市(現在の北九州市若松区)に、宮本家の三女として生まれる[1]。生まれつき視覚に障害があった[2][3]。1959年に、福岡県立北九州盲学校(現福岡県立北九州視覚特別支援学校)の小学部に入学し[1]、学校が自宅から遠いため近隣の施設で寮生活を送る[4]。中学部、高等部本科と進学して行く中で全盲となる[1][3]。その後、1973年には理療科専攻科を卒業しマッサージ師として北九州市の病院に就職するが[5]、翌年退職し、大阪で日本ライトハウス職業生活訓練センターに入所する[1]。そこで紹介された弱視の男性[6]と1975年に結婚し、1976年に長男が、1979年に次男が誕生する[1]。
点訳絵本の普及活動
長男が1歳を過ぎたころ絵本を与えた際に読んでほしがったことから[2]、市販の絵本に点字で文章を書き写したテープを貼って読む工夫を始める[7]。当初使用したダイモテープには色がついていたため子どもが全て剥がしてしまい失敗、点字用紙に文章と絵の説明を書いたメモ本を作るなどして対応していた[7]。また、大阪市立図書館の司書小西萬知子[8]を中心にボランティアにより制作されていた「さわる絵本」(点字と墨字で文章を書き、絵の部分は様々な素材を貼り付けて対象物の形や手触りを再現したもの)も図書館から借りて利用した[7]。
1981年に、小西と共に透明な塩化ビニールシートを使用する方法で初めて点訳絵本を制作する[1][7]。絵の輪郭に切り抜いたシートや、絵の説明や文章を点訳したシートを絵本に貼り付けることで、見た目にも違和感が少なく、視覚障害者にも絵の内容がわかるものとした[7]。ボランティアに多くの絵本を点訳してもらい親子で利用していた点訳絵本が100冊を超えた1984年、他の親子にも使ってもらいたいという考えから「岩田文庫」として貸出を始める[1][2]。
貸出は郵送で行っていたが、点字図書であれば盲人用郵便物として送料無料で郵送できるところ、点訳絵本は認められておらず、送料の利用者負担が課題であった[9]。そこで、1984年に郵政省に問い合わせるが、絵本は視覚に訴えるもので、利用するのは晴眼者であるという理由で認められなかった[9]。その後も岩田ははたらきかけを続け、1987年5月に『朝日新聞』「天声人語」に取り上げられ[10]、その反響から同年7月24日に参議院で取り上げられ、27日から無料化が決定した[11]。
1989年時点で蔵書は2,000冊超、読者も100人を超えて、自宅の一室では手狭になったことから、1991年に社会福祉法人「てんやく絵本 ふれあい文庫」として活動を始める[12]。
また、1987年には点訳絵本を制作するための手引書『点訳絵本のつくり方』をまず私家版で発行し新聞で取り上げられたことから完売[13]、その後改訂を重ねている。2010年度には「てんやく絵本のつくり方」の動画DVDを製作し、点字図書館や盲学校に寄贈した[14]。2021年の調査では、日本全国の都道府県立図書館のうち3館、市区町村立図書館で80館が、絵本に点字や絵をかたどった透明シールを貼った「点字つき絵本」を自館で製作しており[15]、点訳絵本の製作は広がりを見せている。
1992年2月から2000年12月まで、視覚障害者向けラジオ放送局である日本福祉放送で、絵本番組「岩田美津子の絵本の玉手箱」を制作・放送した[2]。月1回収録、60分の番組で、絵本作家をゲストに岩田が取材、出演交渉、番組進行等を行った。エリック・カール、いわむらかずお、加古里子ら8人の作家のインタビューは『岩田美津子の絵本探検』として刊行されている[16]。
図書館等の公共施設に点字のついた絵本を広めていくためには書籍流通に乗る点字つき絵本の出版が必要であることから[17]、1996年に透明な樹脂インクを使って点字と絵を隆起させた日本初のフルカラーの点字つき絵本『チョキチョキチョッキン』を刊行する[2]。開発には2年を要し、ふれあい文庫から刊行され、こぐま社が販売元となった[17]。反響は大きく、8000部程度売れた[2][17]。点字つき出版物が増えていくようにと、2002年には「点字つき絵本の出版と普及を考える会」を発足させた[2] [18]。ふれあい文庫を事務局に、出版社等がメンバーになって活動し、点字つき絵本が複数の出版社から少しずつ継続して刊行されている[2][18]。
1998年に「IBBY朝日国際児童図書普及賞」を受賞したことから、2002年には国際児童図書評議会(IBBY)の招待を受け、パネリストとしてスイスのバーゼルで開催されていた世界大会に参加した[19]。同大会には当時の皇后美智子も招待を受けており、岩田は自作の点字つき絵本と美智子作の絵本を点訳絵本にしたものを贈っている[19]。
洋裁
このほかに、森南海子が1981年に刊行した点字の洋裁書『手縫いの服づくり』を契機に森の教室に通うようになり[20][21]、以後子どもの服や小物を制作し、1982年の『小物を縫う』の点訳版の刊行に際しては、収録作品の選定や点訳の表現等に協力した[20][22]。森のリフォーム教室の視覚障害者向け講座で、アシスタントを務めたこともある[23][24]。
てんやく絵本ふれあい文庫

2012年からNPO法人として活動している[2]。点訳絵本の製作、貸出等の作業、郵送用の布袋の製作が全てボランティアによってなされている[25]。常勤の職員がおらず、週4回の活動を行っている[2]が、限られた財源の中での活動という制約がある[14]。岩田は環境整備と、完成した点訳のチェックを行っている[26][27]。
点訳絵本製作のボランティアは全国から参加があり、郵送でやり取りを行い[25]、2025年の記事によると年間で約250から300冊が作られている[28]。 2015年時点の蔵書数は約10,600冊で、2014年度の利用実績は20施設と122家族に貸出を行い、貸出総数は約4800冊だった[25]。利用料・送料無料で貸出されている[28]。
視覚障害者自身は絵本に関する情報を得にくいため、利用者に代わって好みや読書経験、子どもの年齢や性別を踏まえた絵本を選書して届けている[29][25]。絵本は視覚障害者に扱いやすいよう布袋に入れ[12]、あらかじめ文庫の住所を裏に書いた宛名カードを透明ポケットに入れて送付しており[30][31]、この郵送用の袋も全国のボランティアによる手作りのものである[25][27]。
受賞
- IBBY朝日国際児童図書普及賞(国際児童図書評議会)(1998年) [2]- 「てんやく絵本ふれあい文庫」の代表として受賞。子どもの識字向上や読書推進に貢献した団体や研究機関に授与される賞で、日本からは初の受賞だった[32][33]。
- ソロプチミスト日本財団 社会貢献賞[1][34]
- 平成18年度社会貢献者表彰 第二部門(多年にわたる功労)[35](2006年)
- 第13回本間一夫文化賞 [36] (2016年)
- 2021年度子ども文庫功労賞[37]-伊藤忠記念財団の子ども文庫助成事業の一環で、子ども文庫や児童図書館を長年にわたって運営している個人を表彰[38]。
- 令和5年度塙保己一賞大賞[39]
- 第55回野間読書推進賞個人の部[28](2025年)
著作
- 『点訳絵本のつくり方』(点訳絵本の会 1987)→増補改訂版(せせらぎ出版 1994)、増補改訂第3版(せせらぎ出版 2005)、増補改訂第4版(せせらぎ出版 2015)
- 『見えないお母さん絵本を読む:見えるあなたへのメッセージ』(せせらぎ出版 1992)
- 『チョキチョキチョッキン』(ひぐちみちことの共著 てんやく絵本ふれあい文庫 1996)
- 『岩田美津子の絵本探検』(鳥越信編 JULA出版局 1997)
寄稿
- 「ぼくたちがお母ちゃんの杖」(新井竹子、橋詰淳子 編『かしこく、やさしく、たくましく : 障害児が育てる、障害児を育てる』白石書店 1985年)NDLJP:12141859/8