岩石城 From Wikipedia, the free encyclopedia 城郭構造 山城天守構造 不明築城主 平清盛築城年 保元3年(1158年)logo岩石城(福岡県) 岩石城そえだ美術館城郭構造 山城天守構造 不明築城主 平清盛築城年 保元3年(1158年)主な城主 平氏、大友氏、大内氏、秋月氏廃城年 天正15年(1587年)遺構 曲輪、石垣、堀、井戸指定文化財 なし位置 北緯33度34分38.8秒 東経130度52分17.9秒 / 北緯33.577444度 東経130.871639度 / 33.577444; 130.871639テンプレートを表示 岩石城(がんじゃくじょう)は、福岡県田川郡添田町添田1788番地の2にあった日本の城。標高454mの岩石山山頂を主郭とした山城であった。 この節の加筆が望まれています。 平清盛が大宰大弐であった頃、保元3年(1158年)に大庭景親に築かせた、と伝わる。はるかのちには、子孫である大庭氏が城主として数代支配することになる。 標高はさほどではないにせよ、山岳修験道の修業場であった山に造られており「豊前一の堅城」「難攻不落」という評判もあった同城ではあるが、築城以降、菊池氏、大友氏、大内氏、秋月氏、豊臣秀吉の各大名に攻め落とされ、帰属の変更を繰り返しながら、重要な城として存続する歴史を繰り返す。 秀吉の九州征伐以降は小倉城の付城として存続し、毛利勝信や細川忠興らに支配されるが、江戸時代初期の1615年(元和元年)の元和の一国一城令により廃城となった。 現在 1991年には山麓に7億5000万円の費用を掛けて模擬天守が建築された。模擬天守の1階は美術館となっており、入館料は無料。ただし、本来の岩石城とは無関係であり、城跡のメインとなる遺構は背後の山にあり、石垣や堀が残る。主郭近辺からは地域一帯を俯瞰することができ、同城がやはり重要な拠点であったことが推測される。 ふもとの「そえだジョイ」(老人福祉センター)から、当美術館までスロープカーが敷設されていたが、2014年3月以降休止となった。 岩石城の休車スロープカー 休車スロープカーの側面 関連項目 日本の城一覧 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 Related Articles