峰岸慎一

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生誕 (1937-08-28) 1937年8月28日(88歳)
日本の旗 日本東京府
親戚 峰岸壮一(兄)
峰岸進(弟)
みねぎし しんいち

峰岸 慎一
生誕 (1937-08-28) 1937年8月28日(88歳)
日本の旗 日本東京府
出身校 慶應義塾大学経済学部
職業 放送作家実業家
親戚 峰岸壮一(兄)
峰岸進(弟)
受賞 旭日中綬章[1]
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峰岸 慎一(みねぎし しんいち、1937年昭和12年〉8月28日 - )は、日本実業家放送作家文化放送代表取締役社長、社団法人日本音楽事業者協会専務理事を務めた。

東京府生まれ。慶應義塾幼稚舎から慶應義塾に通い、慶應義塾大学経済学部卒業。1960年文化放送入社[2]

プロデューサー1984年7月編成部長、1985年6月編成局次長、1986年6月編成局長等を歴任[2]

1987年6月取締役編成局長、1988年6月常務編成局長、1990年6月専務、フジテレビジョン取締役、1991年6月文化放送ブレーン取締役[2]

1992年、赤尾一夫から指名され社長に就く。学生時代から加山雄三バックバンドを務め入社後も続けた自身を「サラリーマン出世物語の好見本」というのが口癖であった[3]。 だが、1999年6月に一夫から「今季限りで社長は結構だ」と言われる[4]。峰岸は自身の足跡をこう振り返っている。「編成局長をやっていた時に、一夫氏から取締役になれと。次は常務、専務にと2年おきに言われ、最後は社長をやれと。ぼくで社長は5代目だが、プロパーでははじめてだから社員に元気を与える意味でも引き受けた。しかし、就任したものの、一夫氏、文夫氏(一夫の弟)の圧力というか口出しが強く、ぼくがプロパー役員を上げようとしても、なかなか認めてくれなかった」[4]

親族

脚注

参考文献

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