峰岸慎一
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東京府生まれ。慶應義塾幼稚舎から慶應義塾に通い、慶應義塾大学経済学部卒業。1960年文化放送入社[2]。
プロデューサー、1984年7月編成部長、1985年6月編成局次長、1986年6月編成局長等を歴任[2]。
1987年6月取締役編成局長、1988年6月常務編成局長、1990年6月専務、フジテレビジョン取締役、1991年6月文化放送ブレーン取締役[2]。
1992年、赤尾一夫から指名され社長に就く。学生時代から加山雄三のバックバンドを務め入社後も続けた自身を「サラリーマン出世物語の好見本」というのが口癖であった[3]。 だが、1999年6月に一夫から「今季限りで社長は結構だ」と言われる[4]。峰岸は自身の足跡をこう振り返っている。「編成局長をやっていた時に、一夫氏から取締役になれと。次は常務、専務にと2年おきに言われ、最後は社長をやれと。ぼくで社長は5代目だが、プロパーでははじめてだから社員に元気を与える意味でも引き受けた。しかし、就任したものの、一夫氏、文夫氏(一夫の弟)の圧力というか口出しが強く、ぼくがプロパー役員を上げようとしても、なかなか認めてくれなかった」[4]。