アメリカとカナダの広告自主規制・改善団体であるBetter Business Bureau(BBB)の日本版導入を提唱していた。 1970年(昭和45年)1月に脳血栓で倒れて半身不随状態に陥いりリハビリに取り組んでいたが、BBB視察団の団長を務め、妻の介助のもと同年5月末から2週間アメリカ各地のBBB事務所を回って視察調査を率いた。11月の報告書巻頭言において「“職業を通じて社会公共に奉仕”することを伝統的に誇りとするアメリカの国民性が、60年の間、地道に積み上げてきたBBB活動を、日本の風土に合った新しい運動として1日も早く誕生せしめたい」と記す。その後も国内で日本版BBBの議論・準備は続けられ、最終的に日本広告審査機構(JARO)として1974年に設立された。[6]