島津久籌 From Wikipedia, the free encyclopedia 島津 久籌(しまづ ひさとし、文政10年5月18日(1827年6月12日)- 明治44年(1911年)9月26日)は、幕末の薩摩藩士。永吉島津家当主。通称は権五郎、主殿。明治維新は「島津又七」と名乗る。薩摩藩家老島津久包の子で、永吉島津家に入る[1]。 略歴 1862年島津久光の側役となり、1863年薩英戦争では藩主目代として戦況を視察した。1864年大目付に進む。長州征伐に際しては薩摩藩の先鋒副総督として活躍。1867年には若年寄として藩兵を率い京都の警備にあたった。翌年、鳥羽・伏見の戦いでは本営付となって藩の軍務を統括した[1]。 系譜 祖父:島津久命(島津権五郎) 実父:島津久包(島津登) 養父:島津久敬 弟:島津久馨 義兄:名越左源太(姉種の夫) 脚注 [脚注の使い方][1]『幕末維新人名事典』新人物往来社、1994年2月、494頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/13245023/1/251?keyword=%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E4%B9%85%E7%B1%8C&page=right。 出典 『幕末維新人名事典』(宮崎十三八, 安岡昭男 編、新人物往来社、1994年2月) 494頁 Related Articles~TimelinesTop QsFact Checks