島津忠備 From Wikipedia, the free encyclopedia 島津 忠備(しまづ ただみつ、1891年(明治24年)5月24日[1] - 1928年(昭和3年)6月5日[2])は、明治時代から昭和時代の華族(男爵)。旧鹿児島藩主島津家一族。 公爵・島津忠義の五男として生まれる。通称は富次郎。1893年、2歳にして分家し特旨を以て華族に列し男爵を授けられた。1917年、東京帝国大学工科大学火薬科を卒業する。その後アメリカに渡航した。帰国後、農商務省東京工業試験所技師となった[3]。キシライト株式会社の監査役に就任した[4]。 1928年6月5日没、墓所は東京都港区の瑞聖寺。 家族 妻 愛子(旧足利藩主戸田忠雄子爵の長女)1896年 - 1984年[5] 長男 備愛(男爵を襲爵。理学博士、海軍技術大尉)1918年8月[6] - 1997年10月[7] 長男妻 多紀子(海軍中将桑折英三郎の娘)1926年 - 2015年[7] 孫 光明 1950年 - 2019年[7] 孫 智明 1960年 - 脚注 ↑ 『華族名簿 大正5年3月31日調』華族会館、1916年、p.171。 ↑ 『官報』第433号、1928年6月8日。 ↑ 「島津忠備」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』講談社。https://kotobank.jp/word/%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E5%BF%A0%E5%82%99。コトバンクより2025年8月11日閲覧。 ↑ “島津忠備(第8版)”. 『人事興信録』データベース. 2025年8月11日閲覧。 ↑ 『平成新修旧華族家系大成 上』霞会館、1996年、p.731。 ↑ 人事興信録第4版 島津忠備 1 2 3 瑞聖寺墓誌 日本の爵位 先代叙爵 男爵島津家初代1893年 - 1928年 次代島津備愛 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。表示編集 Related Articles