忠弘は薩摩藩第12代藩主にして最後の藩主・島津茂久(島津忠義)の六男である。母は側室の菱刈久であった。
妻は岩倉具定の娘・季子で、季子との間に一男二女をもうけた。
のちに長男の島津斉視は家督を継いで男爵となり、久邇宮朝融王第二王女・久邇朝子を妻とする。長男に忠視(1966〜)。長女の弘子は松平近義(農学博士)の妻、次女の淑子は東宮女官長となった。
1895年(明治28年)には分家し、その際父の勲功により明治天皇から男爵を授けられている。
宮内省に入省し、式部職の式部官や主猟官を務めたが、1922年(大正11年)10月13日に31歳で卒去した。墓所は東京都港区の瑞聖寺。
若くして亡くなったため、関係する資料も非常に少ないようである。