全羅北道扶安郡幸安面出身。京城帝国大学法学部卒、高等文官試験司法科合格。以後は大法官、弁護士を務めた。1950年の第2代総選挙では扶安郡選挙区から無所属で出馬して当選し、国会議員を1期務めた[2]。
しかし、同年の朝鮮戦争中に拉致された。妻による失郷私民申告書によると、1950年7月中旬ごろに全羅北道で北朝鮮側の関係者に拉致され、拘束中に通訳などをさせられていたということが伝わっている[1]。その後は弟からも同書が提出された[3]。1956年7月、在北平和統一促進協議会中央委員を務める[4]。以後消息不明。