嵩山町字浅間下、標高140メートルの山腹に形成された石灰洞(鍾乳洞)に縄文時代草創期 - 早期の人々の生活痕跡が残る遺跡である[10]。
1941年に愛知県史蹟名勝天然紀念物調査会主事の小栗鉄次郎によって初めて調査され、以後1947年までに4次にわたる調査が実施されている。洞窟の入口高さは1.3メートル、奥行は70メートルほどある。入口近くに炉の跡があり、土器、石器、骨角器などが出土している[10][11]。
土器は縄文草創期の表裏押圧文土器片が出土しているほか、早期の押型文土器、前期・中期・晩期の縄文土器も出土している。出土品には土器片を円形に加工したものや、貝刃などもある。動物質のものではイノシシ、ニホンジカ、タヌキの骨、ハマグリ、ヤマトシジミなども出土しており、縄文人の食生活が垣間見える[11][12]。