川上忠克 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代 - 安土桃山時代生誕 永正4年(1507年)死没 文禄元年(1592年)改名 忠克→意釣(法号) 凡例川上 忠克時代 戦国時代 - 安土桃山時代生誕 永正4年(1507年)死没 文禄元年(1592年)改名 忠克→意釣(法号)別名 通称:源三郎、又九郎官位 上野介主君 島津貴久→義久氏族 川上氏父母 父:川上栄久兄弟 忠豊、道堯、忠克子 忠頼、久朗、忠実、女子、島津実久継室テンプレートを表示 川上 忠克(かわかみ ただかつ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。島津氏の家臣。 永正4年(1507年)、川上栄久の子として誕生。 兄・道堯が病身であったために家督を継ぎ、祖父以来の領地である串木野の30町を領した。 天文年間頃、自らの次女が薩州島津氏の島津実久の継室であったため、実久に与していた。しかし、実久が島津貴久と争って没落すると天文8年(1539年)8月、貴久に降伏した。貴久にこのとき、甑島列島に流刑に処されたが、3年後に罪を許されて島津氏の家老となった。 文禄元年(1592年)、死去。 Related Articles