中学・高校時代はサッカーに熱中していた。「人と違うことをしたい」という精神から、東京の高校で周囲が東京大学志望が多く、物理選択が主流だった中で、京都大学の生物選択の道を選んだ[3]。
京都大学入学後に生態学の屋外授業を受講したことで、生態学への興味、植物への好奇心が芽生えた。それからの学生時代は、サッカーサークルを辞め、ラーメン屋のアルバイトで植物を求める旅のための費用を捻出した。全国を旅しながら調査していた中で、メイガと花粉に関する論文を執筆した。そうした経験から、いつの間にか研究者を志すようになっていた[3]。