川崎市立小田小学校

From Wikipedia, the free encyclopedia

過去の名称 小田学舎
小田小学校
尋常共田小学校小田分教場
尋常渡田小学校小田分教場
尋常田島小学校小田分教場
尋常高等田島小学校小田分教場
田島尋常高等小学校小田分教場
田島第一尋常高等小学校小田分教場
川崎市小田尋常小学校
川崎市小田国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 川崎市
併合学校 前沼国民学校
川崎市立小田小学校
北緯35度30分40.42秒 東経139度42分7.8秒 / 北緯35.5112278度 東経139.702167度 / 35.5112278; 139.702167座標: 北緯35度30分40.42秒 東経139度42分7.8秒 / 北緯35.5112278度 東経139.702167度 / 35.5112278; 139.702167
過去の名称 小田学舎
小田小学校
尋常共田小学校小田分教場
尋常渡田小学校小田分教場
尋常田島小学校小田分教場
尋常高等田島小学校小田分教場
田島尋常高等小学校小田分教場
田島第一尋常高等小学校小田分教場
川崎市小田尋常小学校
川崎市小田国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 川崎市
併合学校 前沼国民学校
設立年月日 1873年
創立記念日 10月1日
共学・別学 男女共学
本校 田島第一尋常高等小学校
1892年 - 1927年
学期 2学期制
学校コード B114213020111 ウィキデータを編集
校地面積 10,052.23 m2[1]
所在地 210-0846
神奈川県川崎市川崎区小田4丁目12番24号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

川崎市立小田小学校(かわさきしりつおだしょうがっこう)は、神奈川県川崎市川崎区小田4丁目に所在する公立小学校

1873年明治6年)に圓能院に開校した[2]。川崎区では川崎市立川崎小学校と共に最も歴史のある小学校で、川崎市内では川崎市立向丘小学校に次いで2番目である[注 1][3]

校歌1962年昭和37年)の制定[4]。作詞は文学者の野上彰、作曲は声楽家の栗本正[5]。歌詞は2番からなり、終盤には地名であり校名でもある「小田」を3度繰り返し、最後に校名の「小田小学校」が登場する[5]

沿革

年表

  • 1873年(明治6年) - 小田学舎として圓能院に開校[2]
  • 1875年(明治8年) - 小田小学校に改称[2]
  • 1876年(明治9年) - 小田2丁目に校舎を落成[6]
  • 1892年(明治25年)10月1日 - 尋常共田小学校へ統合し尋常共田小学校小田分教場となる[6]
  • 1900年(明治33年)12月 - 尋常渡田小学校小田分教場に改称[7]
  • 1908年(明治41年)4月 - 尋常田島小学校小田分教場に改称[7]
  • 1912年(明治45年)4月 - 尋常高等田島小学校小田分教場に改称[8]
  • 1923年大正12年)
    • 4月1日 - 田島尋常高等小学校小田分教場に改称[8]
    • 9月1日 - 関東大震災により校舎が被災[2]。11月10日に現在地に再建[9]
  • 1924年(大正13年)4月1日 - 田島第一尋常高等小学校小田分教場に改称[10]
  • 1927年(昭和2年)4月1日 - 田島第一尋常高等小学校から独立し川崎市小田尋常小学校となる[11]
  • 1928年(昭和3年)3月14日 - 校舎を増築[2]。講堂を落成[2]
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により川崎市小田国民学校に改称[2]
  • 1942年(昭和17年)12月3日 - 前沼国民学校が分離開校[2]
  • 1944年(昭和19年)8月7日 - 第二次世界大戦の激化を受け集団疎開を実施[2]
  • 1945年(昭和20年)
    • 4月15日 - 空襲により校舎が全焼[9]
    • 10月15日 - 第二次世界大戦の終結により集団疎開が解消し、分散授業に切り替え[2]
  • 1946年(昭和21年)4月1日 - 前沼国民学校を統合[9]
  • 1947年(昭和22年)
    • 4月1日 - 学制改革により川崎市立小田小学校に改称[2]
    • 12月12日 - 校舎が全焼[2]。翌1948年(昭和23年)5月7日に再建する[2]
  • 1951年(昭和26年)9月17日 - 浅田分校を整備し児童の一部を移籍[9]
  • 1952年(昭和27年)4月1日 - 浅田分校が川崎市立浅田小学校として独立[2]
  • 1955年(昭和30年)
  • 1962年(昭和37年)11月10日 - 校歌を制定[4]
  • 1964年(昭和39年)3月5日 - 体育館を落成[12]
  • 1967年(昭和42年)3月20日 - 鉄筋コンクリート造の校舎を落成[12]
  • 1973年(昭和48年)10月1日 - 創立100周年を記念し、記念式典の開催、記念碑の建立、記念誌の発行などを実施[13]
  • 1988年(昭和63年)10月14日 - 日本学校歯科医会より全日本よい歯の学校表彰を受ける[2]
  • 1989年平成元年)10月 - 小田小ふれあい動物園を設置[2]
  • 1993年(平成5年)11月6日 - 創立120周年を記念し、記念式典の開催や記念誌・社会科副読本・同窓会名簿の発行を実施[2]
  • 1996年(平成8年) - 校舎および体育館を改築[2]
  • 2003年(平成15年)11月 - 創立130周年を記念し、記念式典の開催や記念誌および地域学習教材集の発行を実施[2][14][15]
  • 2006年(平成18年)4月 - 2学期制に移行[2]

児童数の推移

1951年度(昭和26年度)は2,399人で市内では大師小学校に次いで2番目に多かったが、翌1952年度(昭和27年度)には浅田分校が浅田小学校として独立したため3割減少し1,619人となった[16]。その後は1954年度(昭和29年度)に再度2,000人を超えるも以降は減少に転じ、1970年度(昭和45年度)にかつて分校であった浅田小学校と逆転、1973年度(昭和48年度)には1,000人を割った[16]。この時点で市内平均の978人を下回っている[16]

その後は1990年度(平成2年度)にかけて減少の一途を辿ったが、翌1991年度(平成3年度)に増加に転じ、前年度比127人の増加をみせた[16]。2000年代以降は概ね500人台中盤をほぼ横ばいで推移している[16]

5年度毎の児童数推移(各年度5月1日時点)[注 2]
年度 児童数
1951(昭和26)年度
2,399(浅田分校含む)
1955(昭和30)年度
1,659
1960(昭和35)年度
1,593
1965(昭和40)年度
1,101
1970(昭和45)年度
1,081
1975(昭和50)年度
883
1980(昭和55)年度
868
1985(昭和60)年度
681
1990(平成2)年度
522
1995(平成7)年度
620
2000(平成12)年度
573
2005(平成17)年度
588
2010(平成22)年度
552
2015(平成27)年度
544
2020(令和2)年度
568
2025(令和7)年度
546

教育方針

教育目標は「考える力、感じる心、たくましい心と体」を掲げている[18]

校内活動

委員会

毎月1回は水曜日に5時間目を設け、委員会を実施している。

2025年度時点の設置委員会は次の通り[19]

  • 運営委員会
  • ボランティア委員会
  • 給食委員会
  • 集会委員会
  • 運動委員会
  • 栽培委員会
  • 図書委員会
  • 保健委員会
  • 放送委員会
  • 新聞掲示委員会
  • 飼育委員会

クラブ活動

2025年度時点で11のクラブがある[20]

  • イラストクラブ
  • ギガたんクラブ
  • サッカークラブ
  • ダンスクラブ
  • バスケットボールクラブ
  • バドミントンクラブ
  • 卓球クラブ
  • ものづくりクラブ
  • 球技クラブ
  • 体操クラブ
  • 陸上クラブ

通学区域

川崎市川崎区のうち次の区域が対象[21]

  • 小田1丁目のうち1番から21番
  • 小田2丁目のうち1番から13番、14番1号から14番6号、14番19号から14番24号、17番から21番
  • 小田4丁目
  • 京町3丁目のうち1番から20番

卒業後は川崎市立京町中学校、および川崎市立田島中学校が進学先に指定されている[22]

アクセス

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI