川村イタキシロマ From Wikipedia, the free encyclopedia 生誕 不詳北海道美幌町死没 1943年(昭和18年)北海道旭川市国籍 日本民族 アイヌ民族かわむら いたきしろま川村 イタキシロマ 1937年(昭和12年)頃のイタキシロマ生誕 不詳北海道美幌町死没 1943年(昭和18年)北海道旭川市国籍 日本民族 アイヌ民族肩書き アイヌ博物館(現、川村カ子トアイヌ記念館)館長配偶者 (妻)アベナンカ(タネモンコロ)子供 カ子ト、才登、コヨ親戚 (孫)兼一、(孫)カヨ テンプレートを表示 川村イタキシロマ(かわむらイタキシロマ、? - 1943年)は、アイヌの首長。民族活動家で、川村カ子トアイヌ記念館の創設者である。 生年不詳。美幌より旭川近郊・忠別川のコタンに移り住んだアイヌの一族の7代目である[1]。アイヌ名・イタキシロマは、アイヌ語で「言葉に重みがある=嘘をつかない」の意。 後に、コタンの指導者であるコタンコㇿクㇽ(村おさ)となり、1876年(明治9年)に石狩川の河畔に住むことから「川村」の日本苗字を名乗る[1]。妻はアベナンカ(タネモンコロ)[2]。1887年(明治20年)に、開拓使による強制移住により、旭川西方の近文コタンに移り住む[3]。息子に、川村カ子トがいる[4]。カ子トは日本国有鉄道の測量技手として活躍した[4][注釈 1]。 1916年(大正5年)、アイヌ民族資料を集めた場所を設け一般市民に公開。これが「川村カ子トアイヌ記念館」の前身となったアイヌ博物館である[3]。 1931年(昭和6年)頃、『人類学雑誌』に「キケウシパスイについて」という談話を残している[6]。 1943年(昭和18年)に死去した[1]。 脚注 [脚注の使い方] 注釈 ↑ 女婿(娘コヨの夫)の貝澤藤蔵は、1928年4月から1930年頃まで長野県天竜峡で川村カ子トが率いる鉄道測量隊の一員として働いた[5]。 出典 1 2 3 川村兼一「旭川アイヌの近・現代史」 ↑ 川村兼一「川村家のひとびと」(1985) 1 2 旭川のアイヌ記念館 - 旭川・室蘭の旅 1 2 “先人カード「川村カ子ト」”. 北海道総合政策部総務課. 北海道 (2019年12月13日). 2022年6月22日閲覧。 ↑ 金倉(2006)p.319 ↑ 「文献上のエカシとフチ」(1983)p.20 参考文献 金倉義慧『旭川・アイヌ民族の近現代史』高文研、2006年4月。ISBN 978-4874983621。 川村兼一 著「川村家のひとびと」、イヨマンテ実行委員会 編『イヨマンテ―上川地方の熊送りの記録』小学館、1985年11月。ISBN 978-4096803110。 小柳誠之 編「(別冊)文献上のエカシとフチ」『エカシとフチ―北の島に生きたひとびとの記録』札幌テレビ放送、1983年。ASIN B000J7959G。 ウィキメディア・コモンズには、川村イタキシロマに関連するカテゴリがあります。 Related Articles