1943年(昭和18年)10月21日神宮外苑出陣学徒壮行会において府立六中学年総代として東條英機首相閣下謁見前行進をしている[4]。
成蹊高等学校在学時、来校した海軍中将閣下との質疑に感銘を受け、東京帝国大学の造船学科への進学を志すが終戦となっている[4]。
川林は、論文博士号を良しとせず、生涯博士号を取得しなかったが、当時は東京大学総長の南原繁先生ですら法学士であり、大学院へ進学して博士号を取得する者は学年首席のみであった為[4]。
1950年(昭和25年)3月28日東京大学卒業時の席次は3番、国家公務員上級甲種試験合格席次は9番であった[4]。