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川添永子

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川添 永子(かわぞえ えいこ、旧姓:桑原 1950年昭和25年〉 - )は日本の剣道家教師

女子剣道黎明期に活躍した女流剣士のパイオニア的存在として知られている。夫は剣道家の川添哲夫

来歴

熊本県八代市生まれで、小学4年生で剣道を始める[1]熊本県立八代東高等学校在学中の1967年、出場した玉竜旗高校剣道大会において女子選手として初めて男子選手を破り、話題となる[1]

1968年には新設された女子個人戦にて優勝し、初代女王となった[2]。 翌1969年には国士舘大学進学し、大学1年生ながら全日本女子剣道選手権大会にて優勝。その後、1970年1971年と3連覇を果たす[1][3]。この優勝回数3回の記録は村山千夏が2011年に4回目の優勝を遂げるまで、最多記録であった。なお、3連覇を果たした1971年には第22回NHK紅白歌合戦にて審査員を務めている[4]

1975年に大学の同窓で全日本剣道選手権大会を2回優勝した川添哲夫と結婚。2児の母となる[1]
しかし、結婚・出産を経た後も竹刀を握り、1981年1983年の全日本女子剣道選手権大会では準優勝している[3]

1988年に夫・哲夫が上海列車事故に巻き込まれて事故死したことを契機に一念発起し、高知大学に再入学[5]。1年後に教員免許を取得。亡夫の勤めていた高知学芸高等学校の附属校である高知学芸中学校の教諭となった[1]

脚注

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