川端正男 From Wikipedia, the free encyclopedia 生誕 1941年3月21日 日本・岡山県上房郡高梁町(現・高梁市)死没 2018年6月22日(77歳没)国籍 日本出身校 岡山県立高梁高等学校→岡山大学文学部かわばた まさお川端 正男生誕 1941年3月21日 日本・岡山県上房郡高梁町(現・高梁市)死没 2018年6月22日(77歳没)国籍 日本出身校 岡山県立高梁高等学校→岡山大学文学部肩書き フジクラ代表取締役 副社長山陽実業代表取締役 社長 テンプレートを表示 川端 正男(かわばた まさお、1941年(昭和16年)3月21日[1] - 2018年(平成30年)6月22日[2] )は、日本の実業家である。大手非鉄金属メーカーであるフジクラ代表取締役・副社長を務めた[2]。岡山県高梁市出身。 生い立ち 1941年(昭和16年)岡山県上房郡高梁町(現:高梁市)に生れる[3][2]。高梁北小学校時代は、1学年上に、ANAホールディングス会長になる大橋洋治がいた。大橋は途中で岡大附属小学校へ転校するが、以降生涯に渡り仲が良かった[3]。その後、市立高梁中学校を経て、地元の岡山県立高梁高等学校へ進学、1959年(昭和34年)同校を卒業する[4]。同年、岡山大学文学部へ進学し、1963年(昭和38年)同大学を卒業する[2]。 実業家として 岡大を卒業後、同年4月、電線御三家の一角を占める藤倉電線(現:フジクラ)に入社する[1]。営業畑を歩み、1981年(昭和56年)札幌支店長となる[5]。1986年(昭和61年)には、45歳で営業部長へ昇進し[6]、1990年(平成2年)11月、営業本部副本部長となる。1993年(平成5年)6月、52歳のときに取締役営業本部副本部長・関西支店長となり、1995年(平成7年)2月、取締役関西支店長となった[1]。 一貫して同社の営業畑を歩んできた川端だったが、遂に1997年(平成9年)6月、56歳で常務取締役へ就任する。2001年(平成13年)4月、専務取締役となり、2002年(平成14年)6月には、61歳で代表取締役専務となる。2005年(平成17年)4月、64歳で副社長へ就任[1]、以降、亡くなるまで13年間副社長を務めた[2]。 2018年(平成30年)6月22日、病気のため死去。享年77歳[7]。 略歴 1941年 岡山県上房郡高梁町(現:高梁市)に出生 1959年 岡山県立高梁高等学校を卒業 1963年 岡山大学文学部を卒業、藤倉電線へ入社 1986年 営業部長へ昇進 1995年2月 取締役関西支店長となる 1997年6月 56歳で常務取締役へ就任 2001年4月 専務取締役へ就任 2002年6月 61歳で代表取締役専務へ就任 2005年4月 64歳で副社長へ就任 2018年6月 病気のため死去 脚注 1 2 3 4 有価証券報告書 株式会社フジクラ 25頁, 平成18年6月29日『川端正男 昭和16年3月21日生』 1 2 3 4 5 日外アソシエーツ現代人物情報『川端正男』 1 2 “大橋洋治 岡山へ 登校1日で自宅療養 復学後はわんぱく、水泳部へ”. 日本経済新聞 (2017年4月4日). 2025年8月6日閲覧。 ↑ 高梁高校東京支部だより 10頁,平成25年7月『S39 川端正男』となっているが1959年(S34)の誤り ↑ 建設名鑑 1982年版, 日刊建設通信新社 編 日刊建設通信新社, 1981.12『札幌支店長 川端正男(岡山大昭38-岡山県)』 ↑ 建設名鑑 1986年版, 日刊建設通信新社 編 日刊建設通信新社, 1986.1『第二営業部長 川端正男(岡山大昭38-岡山県)』 ↑ Inc, Nikkei (2018年6月26日). “川端正男氏が死去 元フジクラ副社長”. 日本経済新聞. 2025年8月6日閲覧。 Related Articles