川越大火
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被害
復興
鎮火とともに埼玉県の参事官が到着。入間郡役所・川越町役場は総出で復旧を開始した。
銀林綱男知事(当時)は県議会終了後に駆けつけ100円を、県役人もそれぞれ月給の20分の1を寄付した。これに続き地元商人たちも続々と金品を寄贈した。また当地に縁の深い渋沢栄一や高田早苗らも義援金・現金・米・醤油など生活物資を送っている。
一方で焼失を免れた家屋は大沢家住宅など全て耐火建築の蔵造りであったことから、コスト的には高く付くものの優秀性を再認識した商人たちは南町・鍛治町の目抜き通りに東京から職人を招いて蔵造りによる再建を行った。本大火後2 - 3年に200棟を上回る蔵作りが建設され、当地のシンボルともなった。当地の蔵造りは赤レンガを地下室や塀に用いており、その色調に合わせて黒漆喰をふんだんに用いているのが特色である。黒漆喰は白漆喰より高額で維持コストもかかるが、その結果他都市とは異なる独特な蔵作りの家並を形成することになった。