陸奥国岩手郡大更村(岩手県北岩手郡大更村、西根村、西根町を経て現八幡平市大更)で、工藤織人の長男として生まれる[1]。生家は古くから林業や商業などで財を成した。藩校作人館を経て、江戸に出て安井息軒の門に学び、帰郷後の1879年(明治12年)北岩手郡会議員に当選する。自由民権運動に際しては多くの資金援助を行った。ほか、北岩手郡各村連合会議員、岩手県会議員、岩手県農工銀行発起人などを歴任した。
1890年(明治23年)岩手県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[5]から翌年の6月12日[6]まで在任。1911年(明治44年)には直接国税4140円を納税する県下一の大地主となり、郷学校の設立、道路や橋梁の改修など地方振興に尽力した。大更八坂神社の境内に顕彰碑がある。