神亀5年(728年)中央貴族に対して初めて外位の叙位が行われた際、阿倍帯麻呂・中臣名代らと共に外従五位下に叙せられる。またこの叙位にあたって、この位階に留まるべきでないこと、勤務の状況に応じて内位に叙するので努力を怠らないこと、についての勅が出されている[1]。
翌神亀6年(729年)2月に発生した長屋王の変においては、少納言として左中弁・小野牛養と共に親王・公卿に従って長屋王邸に赴き、罪の糾問にあたる。長屋王の変終結後に行われた3月の叙位において、先の外位叙位者と共に内位の従五位下に叙せられた。天平5年(732年)従五位上に至る。
和歌が『万葉集』に採録されている。(1645)