巨勢識人

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時代 平安時代初期
生誕 延暦14年(795年)以降
別名 志貴人
官位 従五位上
 
巨勢 識人
時代 平安時代初期
生誕 延暦14年(795年)以降
別名 志貴人
官位 従五位上
主君 嵯峨天皇
氏族 巨勢朝臣
父母 父:巨勢野足
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巨勢 識人(こせ の しきひと、延暦14年(795年)以降 - ?)は平安時代初期の官人漢詩人。名は志貴人とも。『凌雲集』『文華秀麗集』『経国集』に計25首の漢詩が載る[1]

弘仁5年(814年)成立の『凌雲集』に「蔭孫無位巨勢朝臣志貴人」とある[2]。蔭孫ということは祖父は三位以上であり、条件に合うのは巨勢野足だけである。また無位ということから弘仁5年時点で20歳以下と考えられる。識人が嫡孫ならば、まもなく従六位下となるであろう(詳細は蔭位を参照)[3]

弘仁14年(823年)2月28日、嵯峨天皇有智子内親王の山荘への行幸に扈従し、従五位上に叙された[4]天長4年(827年)成立の『経国集』にも「従五位上」とある[5]。これ以上の経歴は不明[3]

嵯峨朝文壇

野足は嵯峨の春宮大夫であり、薬子の変直前に新たに設置された初代の蔵人頭をも務めるなど嵯峨の強い信頼を受けていた[6]。おそらくこの縁で、識人は嵯峨に近習し、詩人として活躍したのだろう[7]。『文華秀麗集』に20首を載せるが、これは嵯峨の次に多い[8]。特に「秋日別友人」の七言絶句は高い評価を受けており[9]日本詩吟学院の教本に採用されている[10]

官歴

出典

参考文献

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