市村直樹 (空手家)
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1985年4月、18歳で城西支部に入門。現役引退に至るまで、約20年に及び第一線で活躍し続けており、同じ城西支部の先輩であった増田章と並ぶ、日本人最多である4度の世界大会出場の記録を持つ。
また、矢沢永吉の熱狂的なファンであり、極真会館内部のパーティなどではライブを行うこともある[3]。
【矢沢永吉 ″タオル投げ″ 発祥の人】 1984年9月6日、矢沢永吉コンサートツアー「E' I'LL BE BACK SOON EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR '84」の 山梨県県民文化会館 公演の際、楽曲「トラベリン・バス」(アルバム「A DAY ″ア・デイ″」収録)の歌い始め部分「ルイジアナ~🎵」の後にYAZAWAタオルを初めて投げた人としても知られる。矢沢永吉 本人は、″タオル投げ″ について「あれ、いつ頃だったろう、もう、ちょっとボク、記憶 薄いですけど、5年、6年前ですか。どっかの会場でエキサイティング、興奮したファンが、1人か2人(タオルを)あげたんですよ。そっから始まったんですよ。」(1992年EXテレビ)と述べている。この矢沢永吉 本人の話は、半分正しいが、半分は正確ではない。この日、市村は、確かに興奮していた。しかし、″興奮していたからタオルを投げた″ のではない。コンサート開始前から ″トラベリン・バスの時にタオルを投げよう″ と決めていたのだ。そして、「トラベリン・バス」が始まり、タオルを投げた。これが、矢沢永吉コンサート恒例の ″タオル投げ″ 発祥の事実である。
2017年5月、ロシアの格闘技情報サイト「Super Karate」にて、19日に亡くなっていたことが公表された[4]。50歳没。 訃報を受けて、師である山田雅稔は「今まで出席した葬儀の中で、一番泣いた。」とブログに綴っている[5]。