元治元年4月3日、大隅国姶良郡帖佐村(現鹿児島県姶良市)出身。岡山県にて巡査となり警部に進む。その後領有したばかりの台湾に渡り、台湾総督府の雇員となり。その後は警察関係にすすみ警視となり、台中、苗栗、台北で勤務した。1916年(大正5年)11月に台東庁長に就任し、1924年(大正13年)12月退官した。その後、故郷に帰り、帖佐村議会議員、村会議長をつとめるが[2]、のちの消息は不明である。三男二女をもうけるが、次男の吉至は、東京帝国大学を卒業し台湾総督府に勤務した。次女は高雄警察署長をつとめた下川静一に嫁いだ[3]。
- 1889年(明治22年)6月19日 岡山県巡査[1]。
- 1893年(明治26年)11月11日 保安課兼警務課勤務、岡山県警部[1]。
- 1895年(明治28年)
- 7月11日 岡山県を依願免官(退職)し、台湾総督府の雇員に採用される[1]。
- 10月7日 台湾民政支部詰、警部心得[1]。
- 1896年(明治29年)
- 1897年(明治30年)8月4日 北斗警察署長[1]。
- 1901年(明治34年)
- 5月 市来ハルの入夫となり、市来姓となる。[4]
- 11月11日 苗栗庁警部に転じ、警務課長[1]。
- 1906年(明治39年)9月1日 台中庁警務課長、警部[1]。
- 1907年(明治40年)5月24日 台北庁警務課長、警視[1]。
- 1916年(大正5年)11月13日 任台東庁長[5]。
- 1924年(大正13年)12月16日 依願免官(退職)[6]。