市来知神社

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所在地 北海道三笠市宮本町488
位置 北緯43度14分49.25秒 東経141度52分7.199秒 / 北緯43.2470139度 東経141.86866639度 / 43.2470139; 141.86866639座標: 北緯43度14分49.25秒 東経141度52分7.199秒 / 北緯43.2470139度 東経141.86866639度 / 43.2470139; 141.86866639
市来知神社

市来知神社

所在地 北海道三笠市宮本町488
位置 北緯43度14分49.25秒 東経141度52分7.199秒 / 北緯43.2470139度 東経141.86866639度 / 43.2470139; 141.86866639座標: 北緯43度14分49.25秒 東経141度52分7.199秒 / 北緯43.2470139度 東経141.86866639度 / 43.2470139; 141.86866639
主祭神 天照大御神豊宇気毘賣神大山祇神大國主神倉稲魂神大國魂神少彦名神
社格郷社
創建 1886年(明治19年)
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市来知神社(いちきしりじんじゃ)は、北海道三笠市宮本町488に所在する神社旧社格は郷社。

歴史

1882年(明治15年)に集治監を基盤として開村した市来知村で、初めて集治監による農耕の祭祀が営まれたのは、1885年(明治18年)6月6日のことである[1]

1886年(明治19年)、囚人たちを使って拓かれた土地に、豊宇気毘賣神と大山祇神を祀る社が建てられ、7月4 - 5日に遷座祭と大祭が催された[1]

1888年(明治21年)、競馬場が完成[1]。また同年には「村社創建願」を出願するが、許可が下りたのは無格社であった[1]。それでも当時、札幌以北の道央地域で社格を有する唯一の神社だったという[1]

1890年(明治23年)1月6日、社殿が焼失[1]。火災の原因は、博徒たちが社殿で賭博場を開いた後の火の不始末だったと言われるが、この件で捕えられた博徒はいなかった[1]。なお、社殿は同年中に再建された[1]

1906年(明治39年)に市来知村が幌内村・幾春別村と合併して三笠山村となると、村社昇格を求める機運が再び起こった[1]。昇格の条件となる、社務所の建築と基本財産の造成を満たしたのち、1916年(大正5年)9月に社殿を改築し、1920年(大正8年)9月6日に村社へと昇格した[2]

1943年(昭和18年)11月19日、郷社へと昇格[3]

1946年(昭和21年)には宗教法人となり、1951年(昭和26年)に幌内太神社を合祀する[3]

1962年(昭和37年)、競馬場を廃止[3]1964年(昭和39年)9月、「渡辺惟精翁 顕彰碑」が建立される[3]

ギャラリー

脚注

参考文献

外部リンク

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